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なんくるないさぁ〜。 | macky♪worldにようこそ。
ここは現実の隙間に落っこちてる非現実の世界。夢と現をさまよう独り言を紡いでいます。
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なんくるないさぁ〜。 [2007.09.03] C(0) 続きを読む 
前回の日記にひきつづき、沖縄を語る、みたいな。

「なんくるないさ〜」っていう沖縄のことばがあります。
なんとかなるでしょー、とか、だいじょーぶ、とかそういう意味合いのゆるいコトバ。
沖縄の雰囲気をひとことで表現したようなこのことばが、わたしは好き。
そして、ひじょーに奥が深いように感じるのです。
沖縄の奥深さといっしょ。
このニュアンスをどううまく表現したらいいものかずっと探ってて、沖縄に何度も訪れても理解しきれてないんだな。
またお風呂の中でぼーっと考えてて、思ったことがある。
なんくるないさぁ、は潔い諦めなんだなぁ、と。
なんとかなるっしょって最初から投げてるわけでもなく、自信のなさからの拒否でもなく、必死な努力のあとの境地でもなく。
見捨てるわけでもなく、あがくわけでもなく、見守ることを決意した「諦め」。
うまくいえないんだけど、その視点って、自分サイドでもなく相手サイドでもない、完全にフリーな視点。
「これは良い」とか「これは悪い」とかそういう基準が消える、スタンス。
このね、なにものからも自由になった感覚、いろんなしがらみ・抑圧から開放された感覚、それが恋しくてならないんだ。
これが「なんくるないさぁ〜」の正体かな、って、思ったのよ。

わたしは「しょうがないことをしょうがないって思えない」ことが、苦しい。
日々、自分の感情にどっぷり浸かっておぼれそうになったり、はたまた他人に感情移入しすぎてすっかりしっかりとりこまれてしまったり、両極端を走りすぎです。
とうてい不可能かと思われることほど、わたしがなんとかしなきゃとリキみ、ヒトに一生懸命になることでヒトとつながろうとして、壁にぶつかり人間不信になる、そんな繰り返しです。
努力でなんとかなることと、努力でどうしようもないことと、あるでしょう。
自分自身のこと以外は、たいていのことが努力ではどうしようもないことな気がする。
自分には敵わないことを知って潔く諦める。
なんくるないさぁ〜と力を抜く。

…って書く分にはカンタンなんだけどなぁ、それができないからごちゃごちゃ悩むんだよなぁ。
今のわたしの課題は、感情移入しすぎないことなんです。
すごくむつかしい。
なんくるないスタンスはいいヒントになります。

こんなことを考えてると、ストレスって80%くらいが自分の中から生まれてるものなんだなぁって感じる。
いろんな状況、環境が、自分の中に投射されてるんだろうなぁっとは思うけれど。
父と妹に「ヒトはストレスがまったくないと生きていけないんだ!」と、猛烈にお説教をされたことがあります。
ストレスも必要なんだ!!と。
南の島に行ったイギリス人はあまりのストレスのなさに早死にした、という話があるんだ、と。
(↑さらにはおねえちゃんみたいな変わり者は平気なんだろうけど、とさえ言われた(怒))
ある程度のストレスにさらされないとヒトは強くなれないという。生き抜くため、さらには進化のために、必要だとか。
それもなんか違うだろ〜〜〜と、思う。違くないか???
ストレスも感覚分野だから、比較するのはむつかしい。
ほんとうの意味でストレスから開放されるのは、ストレスフリーな状況・環境下じゃなくてストレスフリーな感覚になったときなんだろうな。
南の島を訪れたときのあの感覚は、擬似感覚なのでしょう。
とか勝手に思った。

ほんとうに、生きてるってすばらしいんだよってみんな知ってるのに。
生きてるだけでじゅうぶんだよってみんながみんなに言ってるのに。
それ以上のなにを求めてるのでしょう。
沖縄はわたしにそれを教えてくれた。涙がでるほどうれしかった。
感動して泣くのは、わたしだけじゃない。はず。
「生きることを精一杯がんばればいい」
って、そんなことをしみじみ思うわたしはすっかりおばあちゃんなのかねぇ。。。
なんくるないさぁ〜。 [2007.09.03] 
前回の日記にひきつづき、沖縄を語る、みたいな。

「なんくるないさ〜」っていう沖縄のことばがあります。
なんとかなるでしょー、とか、だいじょーぶ、とかそういう意味合いのゆるいコトバ。
沖縄の雰囲気をひとことで表現したようなこのことばが、わたしは好き。
そして、ひじょーに奥が深いように感じるのです。
沖縄の奥深さといっしょ。
このニュアンスをどううまく表現したらいいものかずっと探ってて、沖縄に何度も訪れても理解しきれてないんだな。
またお風呂の中でぼーっと考えてて、思ったことがある。
なんくるないさぁ、は潔い諦めなんだなぁ、と。
なんとかなるっしょって最初から投げてるわけでもなく、自信のなさからの拒否でもなく、必死な努力のあとの境地でもなく。
見捨てるわけでもなく、あがくわけでもなく、見守ることを決意した「諦め」。
うまくいえないんだけど、その視点って、自分サイドでもなく相手サイドでもない、完全にフリーな視点。
「これは良い」とか「これは悪い」とかそういう基準が消える、スタンス。
このね、なにものからも自由になった感覚、いろんなしがらみ・抑圧から開放された感覚、それが恋しくてならないんだ。
これが「なんくるないさぁ〜」の正体かな、って、思ったのよ。

わたしは「しょうがないことをしょうがないって思えない」ことが、苦しい。
日々、自分の感情にどっぷり浸かっておぼれそうになったり、はたまた他人に感情移入しすぎてすっかりしっかりとりこまれてしまったり、両極端を走りすぎです。
とうてい不可能かと思われることほど、わたしがなんとかしなきゃとリキみ、ヒトに一生懸命になることでヒトとつながろうとして、壁にぶつかり人間不信になる、そんな繰り返しです。
努力でなんとかなることと、努力でどうしようもないことと、あるでしょう。
自分自身のこと以外は、たいていのことが努力ではどうしようもないことな気がする。
自分には敵わないことを知って潔く諦める。
なんくるないさぁ〜と力を抜く。

…って書く分にはカンタンなんだけどなぁ、それができないからごちゃごちゃ悩むんだよなぁ。
今のわたしの課題は、感情移入しすぎないことなんです。
すごくむつかしい。
なんくるないスタンスはいいヒントになります。

こんなことを考えてると、ストレスって80%くらいが自分の中から生まれてるものなんだなぁって感じる。
いろんな状況、環境が、自分の中に投射されてるんだろうなぁっとは思うけれど。
父と妹に「ヒトはストレスがまったくないと生きていけないんだ!」と、猛烈にお説教をされたことがあります。
ストレスも必要なんだ!!と。
南の島に行ったイギリス人はあまりのストレスのなさに早死にした、という話があるんだ、と。
(↑さらにはおねえちゃんみたいな変わり者は平気なんだろうけど、とさえ言われた(怒))
ある程度のストレスにさらされないとヒトは強くなれないという。生き抜くため、さらには進化のために、必要だとか。
それもなんか違うだろ〜〜〜と、思う。違くないか???
ストレスも感覚分野だから、比較するのはむつかしい。
ほんとうの意味でストレスから開放されるのは、ストレスフリーな状況・環境下じゃなくてストレスフリーな感覚になったときなんだろうな。
南の島を訪れたときのあの感覚は、擬似感覚なのでしょう。
とか勝手に思った。

ほんとうに、生きてるってすばらしいんだよってみんな知ってるのに。
生きてるだけでじゅうぶんだよってみんながみんなに言ってるのに。
それ以上のなにを求めてるのでしょう。
沖縄はわたしにそれを教えてくれた。涙がでるほどうれしかった。
感動して泣くのは、わたしだけじゃない。はず。
「生きることを精一杯がんばればいい」
って、そんなことをしみじみ思うわたしはすっかりおばあちゃんなのかねぇ。。。
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